多重債務者・障がい者手帳持ちの「私」がブログを始めた理由
元看護師、ADHDと鬱、フルリモートで再出発
初めまして、このブログを訪れてくださりありがとうございます。
私は現在、IT企業の障がい者枠でフルリモート勤務をしている、どこにでもいる30代の会社員です。
しかし、私の過去は、皆さんが想像する以上に「借金」と「病気」という泥沼の中にありました。
まず、私の「過去の厳しい肩書き」を正直に開示します。
- 多重債務者:負債は一時100万円を超え、複数の金融機関から借り入れ。
 
- 任意整理2回:最初の任意整理で失敗し、再び借金を膨らませて2回目の債務整理を決意。
 
- 金融ブラック:信用情報機関に事故情報が登録され、まともなローンは組めない状態です。
 
- 精神障がい者:うつ病とADHDの診断を受け、精神障害者保健福祉手帳3級を保有しています。
 
- 転職迷子:看護師、SESエンジニア、CRC(治験コーディネーター)と3回転職を繰り返しています。
 
元々、人の命を預かる看護師として、まっとうな道を歩んでいたはずでした。
それがなぜ、このように転落してしまったのか。それは、私の「病気(ADHDの特性)」と「借金」が、互いを増幅させるループに陥ってしまったからです。
このブログは、借金完済と人生の再構築を目指す、私のリアルタイムな記録です。
このブログが伝えたいメッセージ
あなたがもし、私と同じように「借金が増え続けるのは、自分がだらしないせいだ」「衝動買いを止められないのは、意志が弱いせいだ」と自分を責めているなら、それは少し違います。
私自身の体験を通して気づいたのは、「借金」と「心の病」に苦しむのは、あなた一人ではないということです。そして、それは「治す」努力で解決するものではありません。
このブログが伝えたいのは、以下の希望です。
完璧に特性を「治す」のではなく、 自分の特性を理解して「お金と向き合う仕組み」を作ることで、人生は変えられる。
私の失敗、後悔、そして具体的な再出発のノウハウが、読者であるあなたの「リスタート」の一歩となることを心から願っています。
借金と「病」のループに飲み込まれるまで
人生初の借金は、学生時代の70万円
私が最初に借金を抱えたのは、看護学部に通っていた学生時代に遡ります。
私は看護学部へ進学しましたが、実習と試験の多忙さは想像以上です。看護実習は体力、精神力ともに削られ、アルバイトをする時間の余裕が全くありませんでした。
- 多忙でバイトができず、生活費が底を突く。
 
- 学費とは別に、生活費を補うために借入を決意。
 
当時借りたのは、学生ローンとLINEポケットマネーを合わせて計70万円。両親に心配をかけたくない一心で相談できず、自力で解決しようとした結果でした。
さらにこの時期、エポスカードでも約100万円の滞納をしてしまい、人生で最初の「任意整理」を経験しています。
学生にして任意整理デビューです。
今振り返れば、この「人に頼れない」「自分で何とかしなきゃ」という思い込みこそが、ADHDの特性が引き起こした最初の大きな失敗だったのかもしれません。
しかし、当時の私にとって、借金はただ生きるための手段でした。
新卒、生活苦からの借金
借金を抱えながら、私は千葉県の病院の病棟で看護師として働き始めました。
「これで借金が返せる」と期待していたものの、現実はそんなに甘くありませんでした。
- 月給総支給:約24万円
 
- 手取り:約19万円
 
そこから固定費が引かれます。
手元に残る金額は、あっという間に消えていきました。
さらに、ADHDの特性である衝動買いや後回し癖が加わり、毎月の生活は赤字。
そして、私は再び借金を重ねます。
- 消費者金融のアコムで30万円を借入。
 
「人の命を救う仕事をしているのに、自分の人生を壊している」という矛盾が、私を深く苦しめました。
適応障害で休職・退職へ
就職してわずか約4ヶ月後、私は適応障害と診断され、3ヶ月の休職を余儀なくされました。
病棟の人間関係の複雑さ、看護師という職業のプレッシャーが、私を限界まで追い詰めていたのです。
この休職が、借金問題を決定的に悪化させました。
- 収入ゼロ:休職中は給与が入ってきません。
 
- 欠勤分の返納:すでに受け取っていた給与の一部を返納する必要まで出てきました。
 
経済的な恐怖に耐えきれず、私は定期預金を取り崩すという手段で何とか対応しましたが、精神的なダメージは計り知れませんでした。
復職後も人間関係の悩みは解決せず、私は新卒で入社した翌年に看護師を退職。
この時点で、私の最初のキャリアは完全に崩壊しました。
転職3回の迷走と無収入期間
看護師を辞めた後、私の転職活動は迷走を極めます。
- 次職(SESエンジニア):IT業界に活路を見出し、SES企業で1年半勤務。しかし、ここでも営業との疎通がうまくいかなかったり、配属先での人間関係で衝突したりと、ADHDの特性が仕事の継続を阻害しました。
 - 次職(CRC:治験コーディネーター):ハローワーク経由で転職。しかし、ここでも人間関係が原因で退職。
 - 約1年のニート:転職3回を繰り返し、メンタルはぼろぼろに。働く力もなく、無収入期間に突入。
 
この無収入期間が、借金地獄をさらに深くしました。
生活費、そして趣味であるアイドルの追っかけ費用や、SNSで見た「稼げる」というコンサル費用などに、再び手を出してしまったのです。
- みんなの銀行ローンで20万円。
 
- エアウォレットクイックローンから50万円。
 
- LINEポケットマネーから50万円。
 
そして、この時のLINEポケットマネーを滞納したことで、私は2回目の任意整理へと進むことになります。
この時点で、借金は「転職の度に増えていく」という悲劇的な連鎖でした。
「病気」の診断と「障がい」としての受容
隠しきれなかった特性の診断
退職し、絶望の中にいたニート期間の私に転機が訪れます。
療養しつつ受診していた病院にて診察を受けた結果、私はうつ病に加え、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受けました。
診断が下りた瞬間は、絶望よりも「ようやく理由がわかった」という安堵が大きかったです。
- 衝動性・後回し癖:これらは単なる「性格の欠点」ではなく、ADHDという脳の特性だった。
 
- 多重債務への直結:衝動的な「アイドル追っかけ」や「コンサル契約」への浪費は、この特性が原因だったこと。
 
自分の失敗や苦しみが、「自分の意志の弱さ」だけではなかったと知ったことで、私はようやく借金問題に冷静に向き合う決意ができました。
障がい者手帳の取得
診断後、私はすぐに障害者手帳の取得を目指しました。
これは「支援を受けるため」だけでなく、「自分の人生を守るための盾」が欲しかったからです。
- 取得理由:再就職への不安、一般枠での過度なストレスから逃れる必要性。
 
- 手続きの煩雑さ:診断書の準備や手続きは煩雑でしたが、手帳を取得したことで、私は社会的な支援を受けられる立場になりました。
 
- 就労移行支援:手帳取得後、就労移行支援事業所を利用し、ADHDの特性に合った仕事の選び方や、ストレスへの対処法を学びました。
 
そして、私は正式に障害者手帳3級を取得し、就労移行支援へ通うことに。
これは、私の「再出発」のスタートラインとなりました。
再出発の形:障がい者枠での勤務
就労移行支援での学びを活かし、私は「自分の特性に合う働き方」を徹底的に追求しました。
そして、無事に障がい者枠で就職を果たせました。
- 職務内容:フルリモート勤務にて、システムの運用・保守を担当。
 
- なぜフルリモートを選んだか:
- 人間関係のストレス軽減:常に対面でのコミュニケーションが不要なため、衝突のリスクが激減。
 - 集中力のコントロール:ADHDの特性に合わせ、静かな環境や、休憩を自分のタイミングで取れる。
 - タスク管理の柔軟性:衝動的な行動ではなく、マニュアルに沿った業務が多く、ADHDでも成果を出しやすい。
 
 
私は今、初めて「自分らしく」働けていると感じています。
リモートワークという働き方が、私のADHDという「障害」を「個性」に変える武器になったのです。
まとめ:現在の負債状況と「再出発」への決意
多重債務者としての現在地と負債の内訳
現在、私は両親と同居し、生活基盤を立て直す努力をしています。
しかし、借金はまだ残っています。
現在の負債総額は約100万円です。
この負債を完済するため、私は今、人生のリスタートに挑んでいます。
2回目の任意整理へ
今年、私は再び弁護士に相談し、2回目の任意整理を決断しました。
一度失敗しているからこそ、今度こそ確実に完済したい。
そして、この「2回目の任意整理」が、借金問題に悩む読者の方々にとって、最後の希望の光となることを願っています。
このブログは、借金完済と人生の安定を目指す、リアルタイムドキュメンタリーです。
完璧でなくても、必ず道はある
借金、ADHD、うつ病。すべてを抱えながら再出発を目指す私の姿が、過去の私と同じように苦しむ誰かの力になることを信じています。
「完璧でなくても、必ず道はある。」
自分の特性を理解し、環境を整え、諦めずに情報収集を続ければ、必ず人生はリセットできます。次はあなたの番です。
このブログでは、具体的な借金対処法、ADHDの特性を活かす仕事術、そして私の体験談を詳細に綴っていきます。